アートがヒトと地球にできること(2024年9月#4掲載中)

投稿日:2024-06-01

~2024年9月(#4)~

<歴史的考察>「キワモノによってアートは進化する」

これからの時代、#3で触れましたが、昨今のえもいわれぬ蠢きが新しい次元のイデオロギーを導き出し、政治・行政・経済・文化・IT・医療・教育等いろいろな分野で、従来とは全く異なる「人間的な枠組み」が、自然発生的・本能的に登場してくるでしょう。そうしたとき、文化の1つであるアートにとっての新しい枠組みとは何でしょうか

それは、「新アート創造のための施策をどれだけ打てるか、結果、国民全体のアートに対する感性水準みたいなレベルをどれだけ向上できるか」ということの解となる枠組みだと思います。もはやアートは、知らぬ間に、趣味道楽を超えて生きる糧のレベルに入ってきています。精神面で、国民全員のライフスタイルに関わる喫緊な問題として捉えるべきだと思います。氷山の一角の有名アーティストだけにコミットするコマーシャル・オリエンテッドな行動よりも、将来に向けて、逸材若手アーティストを発掘・育成・拡大創生していくこと、そのための人的経済的リソースの桁違いの投入を図ることが優先されてしかるべきだと考えています

型破り・前衛・亜流に見えるキワモノが、新潮流そして後々の主流になり得るものであり、なおかつ、キワモノは、若手アーティストからしか生まれません

 平面・立体・インスタレーション問わず、コンセプチュアルな作品、コンテンポラリー作家と称する存在は今後築かれていくアートの歴史の中で、どういう位置付けになっていくのでしょうか?非常に興味深いところで。別物として一線を画する領域になるのか、ファインアートと奇跡的に融和していくのか、はたまた取って代わってしまうのか、まったく予想できませんそれは、ここからの未来、どういう価値観と感性を持った人間がこの地球上に存在し続けていけるかに依拠しているはずです。

必然としてアートは進化していくものですが、とはいえ、次の可能性を摘まないために、前人達はキワモノと一見見える「新アート」に対して、容認するキャパシティを(できれば斬新なアートセンスを)持つ必要があります。そして、次のアーティストの才能をより積極的に見出す意識と育成する行動でもって、アートという「魂力」=「魅力」をより進化させていくべきだと、私は考えます

~2024年8月(#3)~

 

<歴史的考察>「転換期に生きている我々」

翻って日本、平成から令和の時代、実は我々は、戦後80年間、高度成長とともに、経済を中心とした豊かさ追及という合理主義的人間像が最大の幸せ象徴として、あたかも当たり前の価値観として持ち合わせ生きてきたわけで

ところが昨今、その安穏とした時代にひび割れが起きてきていることは誰しも目の当たりにしているはずで。歴史で習った、「天災地変、疫病、有事」という言葉は、まさに今でいう「東日本大震災・北陸大地震新型コロナウィルス、ロシアウクライナ侵攻、イスラエルハマス戦争、イランアメリカ戦争」にあてはまります500年経過しても歴史は同じ軌跡を繰り返してきているわけですが、またここで本格再開するような事態は杞憂であってほしいと願うばかりです

しかし、このモヤモヤな雰囲気を経験してしまうと、人間は少なからず何らかの焦燥感が生まれ始め、本来生きている意味そのものの見直しを自発的・精神防衛的に起こし始めます。その派生効果として、お金ほか実欲とは別の次元の何かを求めたくなる自浄本能が生まれます。その典型は、宗教であり、ボランティアでが、私は、そこにアートも対象になるのではないかと考えています。心身そのものを暖かく包んでくれる居場所になり得るからで。そして、ドラスティックな外的環境変化によって急にその親密度高まり、「人間の生き方とアート」の結び付きが益々不可欠な関係性をもつまでに至る、そういった影響力をアートは潜在的に秘めていると思います

その局面においては、芸術がいわゆる金持ちの趣味を超えて普通の人間全般にとっての生きる大切かつ切実な糧そのものになっているはずで

世界中で人類共通の価値観ビッグバン」が起こり、人間の感性に直結するアート依存分子が、地殻変動的に思考行動として隆起・浮上してくる、そういった蠢きを予感せざるをません

私は創業時から、「Heartful Portfolioあるいは「Humane Portfolioという言葉をベースに、現代社会の人間とアートの関係を訴求してきました。アート業界でPortfolioは作品一覧リストのことですが、金融用語では価格変動する金融商品を分散投資して資産全体を適正なリスク・リターンで拡大するための運用手法のことです。ここではそれを、私はメタファー(揶揄)として引用しますが、人間が人間らしく生きていく上で「お金を増殖させることを最終目的にした発想で本当にいいのですか?を充足させるPortfolioも忘れないように」問いかけをさせてもらっています。人間の原点回帰として1%でいいので例えば、自分の部屋に気に入った絵を1つでも飾ろうという意識と行動さえあれば、その10倍の心のリターンが得られると思います皮肉な話ですが、この難しい時代になったからこそ、実現し得ることです。

 

 

 

~2024年7月(#2)~

 

<歴史的考察>「戦争とアート」

 

アートは、歴史を辿れば、ルネサンス時代以降、貴族、僧侶、いわゆるパトロン富裕層を中心に、クローズされてきた世界で展開され、それが故の慣行と風潮、政治利用、政治批判描写への弾圧等、お金と権力による「歪み」と常に隣り合わせでした。しかしその一方で、だからこそ、作家も業界も維持発展してきた皮肉な変遷があるのも事実です。

最終的には、政治や体制が崩壊と再建を何度繰返そうが、アートは決して死にません、それどころか、断層的な世の中の変化をエネルギー源に、より自浄作用で勢力的かつ独創的に大きく進化し続けてきました。

西洋美術でみますと、宗教表現に端を発したアートだと認識していますが、15世紀以降のボッティチェリ、ダ・ヴィンチのルネサンス時代、16世紀のレンブラント、フェルメールのバロック時代、その後、18世紀の新古典主義やロマン主義を経て、19世紀には、最も馴染みのある、写実派(神話・聖書の「持物」を恣意的に描写しないマネ等)、印象派(サロンの評価基準に不満で、貧しい作家だけで共同個展を始めたモネ、ルノアール、セザンヌ等)、象徴派(聖書のストーリーを変造した作品サロメで有名なモロー等)、ポスト印象主義(セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ロートレック等)、その後、20世紀にかけて、ムンク、ピカソ(キュリズム)という変遷になりますか。500年に亘る歴史をあまりにラフに流してしまいますが、その間、スペイン王国誕生、ルター宗教改革、イギリス清教徒革命、フランスルイ14世即位、フランス革命。ナポレオン即位、イギリスヴィクトリア女王即位、普仏戦争、第一次世界大戦、ドイツナチス政権、その後第二次世界大戦に至る。西洋社会だけみても、政治のエゴが生んだ戦争の繰返しでした。

いかなる時代も、アーティストという生業の人間は、戦争・政治とは次元を違えてアートを追及する「怪人」=「魂人」であり、体制に屈することなく、あるいは無頓着に、作家魂の赴くままに作品制作に没頭してきました。だからこそ、特権階級による評価ではなく、迎合のない絶対的評価による、アート・オリエンテッドな世界が斬新かつピュアな形で創造され続けてきたのでしょう。

そして、21世紀を四半世紀経過した今、将来振返れば歴史の教科書に載る有事が地球上で起こっている。価値観とともにアートそのものの革命が起こり得る節目になる予感さえ感じるわけです。

 

 

 

~(2024年6月)(#1)~

 

<はじめに> 「人間の魂」が「アート」に対峙する瞬間

私は2020に弊社エブリチャンス合同会社を立ち上げ、主に若手アーティストのアート活動支援に携わってきましたが、私事、実は20235月に、人生最大の転機となる病症(間質性肺炎)が発覚し、2か月の入院生活となりました。クリティカル・リスクは排除できましたが、退院後において完治する類のものではなく、以降、難病認定を受ける立場で日常生活を過ごすことと相成りました

元々1983年に大学卒業後、会社設立まで40年近く、金融業界で身を挺して役員までは頑張りましたが、最後、あまりにもつまらない事態に出くわし、周りの人的環境・組織体質に失望し、人生の時間を費やすのが勿体なくなり、寸分の未練もなく自らの地位を返上し退職しました。その時既に、今のアート業界に身を委ねることを決めていた気がします。本能で潜在的右脳で生きる自分に戻りたくなったのかもしれません

現在の日本人誰しも、特に企業人の現役世代と呼ばれる年齢層は、競争原理が前提の資本主義社会で生き抜くために逞しく頑張るわけですが、そこには、頑張れば頑張るほど、得も言われぬ利害関係、相対比較に晒されるフィールドで戦わざるを得ないというジレンマが待ち受けています。ところが散々疲弊しているうちに一定の年数が経過し現役も終盤、ふと気づくと、台風一過の如く、日々のストレスは郷愁の如く、俗人要素がすべて剥れポツリと佇む自分の存在に気付くわけです

ヒトは、相対評価のジレンマから免れ、自分という絶対基準しか存在しない環境あるい心境に置かれた瞬間に、今まで見えていなかった本質が見えてくる、あるいは見ようという感性が湧き出てくるものです。これが「終活」ならぬ「終感」とでも呼ぶべきものでしょうか。

ちょうどその頃、バリ島で観た1枚のコンテンポラリーアートに心が吸い込まれたことを覚えています。その後、今の業界でアーティストほか様々な方々と出逢い、病の急襲あり、必然的に「アート」という世界の真髄を知りたくなりました

テーマは、「アートと人間の関係」あるいは「人間にとってのアートの存在とは?」になります

アーティストが絵に魂を入れるといいますが、観る側も絵に魂を入れることができると私は思っています。何かのきっかけで、魂に響くくらい「アート」に向き合う瞬間が来るのではないでしょうか

もちろん私自身、真実にたどり着くには、まだまだ時間と経験が必要ですが、今現在、五里霧中状態、しかし、先に細い光が薄ぼんやりと見えているような・・・

これから、毎月1~2回程度、全部で20回前後になると思いますが、「アート」というものを、自分なりに様々な切り口で、全く自由気ままな発想で、エッセイ的に語ってみたいと思っています。どうぞお付き合いくださいませ。

これからの予告編・・・大きなテーマは4つを予定しています。

1.歴史的考察

2.アートと社会の関係

3.エブリチャンスについて

4.未来考察