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「Humane Portfolio」
「Portfolio」という単語はアート業界では作品一覧リストとして使用します。金融業界では、非相関な資産を分散して価格変動リスクを抑制しながら資産全体を適度なリスク・リターンで運用・保全することを意味します。
最大の違いは、後者の金融業界での目的が、お金を原資に更なるお金の増殖そのものを最終ゴールとするソリューションに留まっている点です。
「手段で手段を買う」という限界があります。
人間が人間らしく生きていくため「Portfolio」を想定した場合、100%お金のことだけで本当にいいのですか?という問題提起です。
「おカネでおカネを買う」のではなく、「人間本来の心のゴールのためにお金を使う」、そのための「Humane Portfolio」を提案します。
生涯におけるお金・時間・マインドの使い方として、心のポートフォリオを別途構築しておいてはいかがでしょうか?
配分修正によって、Humaneリターンは10倍になるのではないでしょうか?
2020年にエブリチャンス合同会社をスタートして以来、様々なアーティストの方々あるいはアート業界関係者の方々とお付き合いする機会が増えて、新鮮な刺激を受けながらいろいろ経験を積ませて頂きましたが、深い部分を知れば知るほど、当初の志は間違っていなかったと確信を持てるようになりました。
平成から令和の時代、実は我々は、戦後80年間、高度成長とともに、経済を中心とした豊かさ追及が唯一の幸せの方程式かのごとく、合理主義的人間像が当たり前のあるべき価値観として育ってきたわけです。
ところが昨今、その安穏とした時代に歪みが起きてきていることは誰しも肌で感じるはずです。
歴史で習った、「天災地変、疫病、有事」という言葉は、まさに今でいう「東日本大震災、コロナ、ロシア・ウクライナあるいはイスラエル・ガザ戦争」に該当するのではないでしょうか?美術の歴史500年を振り返っても実は同じ足跡を辿ってきているわけですが、できれば今がその節目に当たらないことを祈るばかりです。
杞憂であったとしても、このモヤモヤな雰囲気を経験してしまうと、人間は少なからず何らかの焦燥感を抱くようになり、本来生きている意味を自発的・精神防衛的に問い始めます。
結果、派生効果として、「お金中心の実欲とは別の次元の何か」を求めたくなる自浄本能が生まれます。
その典型は、宗教であり、ボランティアですが、私は、そこには、文化的領域全般も対象になり得ると考えており、本来の人間らしい配分として、お金と時間とマインドのポートフォリオを大幅に軌道修正すべきであると考えます。
例えば、アート。
心身そのものを包んでくれる感覚になれる居場所(ラストリゾート)として大変有用な存在です。
この状況は、無風・安穏として変化のない時代ではなく、昨今のような、ドラスティックな外的環境変化がトリガーに急に親密度が高まり、「人間の生き方とアート」の結び付きが益々不可欠な関係性をもつまでに至る、そういった影響力をアートは潜在的に秘めています。
そしてその局面では、文化的領域は、いわゆる一部の富裕層の趣味や専門家のビジネス対象ではなく、地球人全員に共通する糧に変化しているわけです。
Every Chance for everyone
アーティストを志すすべての人々に、チャレンジするチャンスを!
「日本にはもっとアートが必要」
- 欧米に比べて「アートが身近ではない」と感じています。
海外ではどんなに小さなアパートでも日常的にこだわりの絵画を1枚飾っていますし、その絵にまつわる想い出や、好みのアーティストの話題で盛り上がったりします。
また、美術館に足を運ぶヒトの割合も日本よりもはるかに多いようです。
日本では、美術に対して「何となく難しい・楽しみ方自体がわからない」「好きな絵画と出逢いたいが、画廊は何となく高級そうで敷居が高い」「話をする機会がない」「非日常で特別なもので自分とは無縁」というご意見を多く伺います。
芸術・美術に対する歴史的背景や幼少期からの日常への浸透度合い等、日本とヨーロッパでは全く環境や条件が異なるため、やむを得ないところもあるものの、日本においても、美術が誰もが自然に触れ合う文化として根付いてもらいたいと素直に感じます。 - アートというものは、他の評価ではなく自分自身の心に刺さるものが自分にとって最も素晴らしい作品であるべきだと考えています。その思いを弊社では「Mon Art(モナール)」と称しています。
- 同時に、音楽が「耳で聴くというより感じるもの」であると同じように美術は「目で観るというより感じるもの」だと思います。生きる価値観そのものが変革しつつある時代に、もっと心にアートが必要です。皆さんもそう感じませんか?
「美術系アーティストに対して支援が必要」
- 音楽、スポーツ、囲碁、将棋、演劇、歌舞伎の世界には、10代の逸材スターが存在します。そして早い段階で育成、プロデュースに向けた諸環境が整備されています。ところが、美術の世界にはそういうハード及びソフトの環境や空気がありません。何故でしょうか?
- また、若手アーティストは、共通に切実な悩みを持っています。「作品を披露する機会が少ない、機会のきっかけ作りの方法がわからない」「自分の才能を確認できる場や、適切に評価してくれる相手がいない、そういう機関を知らない」「プロになりたいがしかるべきキャリアパスが見えず道のりが遠く感じる」「作品を作り続けたいが、欲しい画材を我慢しながらでも生活が厳しい、頑張れる気持ちが続かない」「自分の制作と社会との関係性に悩み始めている」そういった感じでしょうか?
- 弊社事業は、これまで世の中でありそうで実は類似するビジネスモデルはありません。プロのアーティストの作品を画廊や展示会で販売する形、あるいは、Webでの作品レンタルビジネスはいくつか存在します。しかし、「様々な芸術活動家を対象に」「支援者の方々の暖かい理解を得て」かつ「アーティストの意思を尊重した自由設計型の雰囲気で」「アーティストを具体的に支援する」ビジネスはありません。弊社は、経済的理由含め機会に恵まれず、せっかく才能があっても継続する気持ちやモチベーションが持続できないといった厳しい実情を打破するために、少しでもサポートできることがないかと考えています。
私のアーカイブ
小学1年生のときに絵画教室で「家族でお風呂に入っている絵」を描かされたのですが、どうしてもオヘソが恥ずかしくて描けず、先生や母親に絵の才能は
ない烙印を押された私ですが、40歳を超えてから何故か青天の霹靂、天から何かが落ちてきました。
箱根のある老舗旅館の読書スペースの壁に掛かっていた、ある幼い少女の絵に、何故か魂が吸い込まれるような感覚を覚えました。
当時、その絵を眺めているうちにどうしても手に入れたくなって、旅館に頼み込んだのですが、お知り合いのおばあさんが、孫を慕って描いた絵だったらしく、
想い出の作品なので人手に渡すのは難しいと言われ、翌朝、名残惜しく旅館を後にしました。
ところが、1か月程経ったときに、若旦那より手紙が来て、あの作品は難しいが、同じおばあさんが描いた孫の絵がいくつかあるのでわざわざ自宅に送ってくださいました。
嬉しかった!おばあさんは、その後しばらくして他界されたと、次に旅館を訪ずれたときに聞きました。
おばあさん、若旦那、本当にありがとうございました。
今も自分の書斎に飾っており、観るたびに感謝の念でいっぱいです。
もう1つは、父が生前描いていた水彩画と油絵です。
定年後の趣味として、自分の部屋で密かに描いていたようです。
父が逝った後、母が家の至るところに父親の絵を飾り始めたこと、また、私が実家に帰る度に絵の配置が変わっていたことを思い出します。
昨年、その母も亡くなり、ついに実家を引き払うことになりましたが、遺品として改めて父親のたくさんの作品を床に並べたとき、「親父と母の個展」を観るようでした。
一方、息子の私はというと、父親のDNAは全く引継いでいないようで、趣味のダイビングの後に、水中で発見した珍しい魚や珊瑚を三色ペンで落書きすることぐらいしかできないレベルです。
でも、そんな私でさえ、最近、絵を観て、心も体も吸い込まれるような瞬間におそわれるときがあります。
額縁の中にいる自分を感じたり、心の音が聴こえたり。
自分が人物画の被写体そのものになって怒ったり笑ったりも。
静画は動かず平べったいものですが、立体的というかリアルな空気に包まれることがあります。