倉敷 安耶 Aya Kurashiki

他者と自己の関係性をテーマに

――どのような作品を手掛けられているのか、教えていただけますか?

倉敷:版画に近い感覚の転写を中心として、他者と自己は絶対的他人である、不連続体であるということを前提に、他者と自己の関係性をテーマにした作品を作っています。写真転写が多いので、延長で写真作品も制作しています。

転写に使用する画像には自分で撮ったり、ネットからダウンロードした写真をベースに作ったものもあります。例えばオフィーリアのものは、イギリスの婦人画家ミレーが描いた夢のオフィーリアと、ネットから落としたポルノ女優の図像を素材にして制作したものです。

転写にペイントしたような平面作品が多いのですが、最近は修了制作でパフォーマンスアートも手掛けました。

――それはどのような作品なのでしょうか?

倉敷:平面だけでは自分の制作欲求が満たせないかもしれないと感じていたんです。修了制作で行ったパフォーマンスは、5,000×2,600×1,700mmの空間で、表に”Transition”というオフィーリアをモチーフにした作品があり、裏に回ると中に人が入れます。

最初に半透明のカーテンがあり、それをめくるとバスタブがあり、その奥にもカーテンがあり、めくるとほぼ密室でのパフォーマンスが始まります。椅子が2つあって、
片方には私、もう片方には鑑賞者に座っていただくようになっています。

【Transition】 H2600×W5000×D70mm 木製パネルと麻布にメディウム転写 2019 展示 “東京藝術大学修了制作展”, 2020, 東京藝術大学, 東京 photo by. 中川陽介
【Obscure _ Breast】 サイズ可変 インスタレーション 浴槽、シャワーカーテン 2020 展示 “東京藝術大学修了制作展”, 2020, 東京藝術大学, 東京 photo by. 中川陽介

椅子のそばにはソレイユ(太陽)とメール(海)と書かれたポットがあります。アルチュール・ランボーの詩をモチーフにしていて、そこには海に沈む太陽の様子が「永遠」として描かれているんです。メールのポットには水が入っていて、ソレイユのポットにはお湯が入っていて、できるだけ私に近い距離で座ってもらい、ポットの水とお湯をわって人肌ぐらいの白湯をつくり、それを「永遠」が入っていると伝えて飲んでもらう。

その後いくつか他者と自己に関する質問をしたり、逆に聞き返してもらったりして、近接した距離でコミュニケーションを取るというパフォーマンスをしました。これからも、もっと身体的に他者と関わるという形でパフォーマンスをしていきたいと思っています。


――倉敷さんの作品の根底には、どのような想いがあるのでしょうか?

倉敷:私は小さい頃から、自分と他者が別物であるということに関心を持ってきました。私と他者とを区別する時に、まずは身体的差異があって、他にも国籍、性別、思想の違いというものがあるのですが、一種のニルバーナとして思い描いているものとして、身体を抜け出て、自己が自己でありつつも他者と同一の集合体になるという瞬間を持っているんですね。自分にとっては信仰のように思えています。 他者と自己はそれぞれここに存在するけれど、みんなが集まってひとつのものになって、生き物はそれらが全部廻って生きている。

私はそういうところをニルバーナとして考えていて、その思想を最初は視覚的に言語化してみたいということから、絵画がフィクションであるということを前提に、その中に自分の涅槃を見出すためにペインティングをしていたんですね。

最近はそこから少し変わって、自己と他者が絶対的別物であるという事実に対して、一旦それを受け入れて、そこからどうやって他者とできる限り共同体として生きていけるかというふうに考え方が変わりました。それでできたのが修了作品です。他者とコミュニケーションしながら、どう共同体として生きていけるかを探るというテーマです。自分と他者が作品の根底にあるし、私は他人と触れたいし、別物だけどできるだけ理解したい、近くまで寄りたいという想いが根底にあります。

――この作品を作っている時に、認識が変わってきたということですか?

倉敷:作る前に認識が変わって、これができました。

――この作品の前と後の認識の違いに触れながら、作品についてもう少し詳しく教えてください。

倉敷:これ以前の作品では、まだペインティングをしていました。ペインティングはすごく身体的な行為で、絵画が絶対的なフィクションだということを踏まえて、他人の画像を転写で入れ込んで、そこにペインティングを加えていました。私と他者の融合性を形にしたかったから。人体が少し隠れているのですが、どこまでが人でどこまでが背景か分からない、そういう抽象的な身体を思い描いて制作していました。

亡くなった祖母からインスピレーションを得た作品もあります。祖母の家の風景を鏡に転写しています。祖母が、亡くなる前によく「家の中に見知らぬ人がいる」と騒いでいて、その後すぐ亡くなったのですが、その正体は死神だったのかなと親族たちは話していました。この作品では、鑑賞者が鏡の前に立つと、祖母の家の中の風景が映り込む形になります。

【My late grandma’s house. 】 鏡にシンナー転写 2019 展示 “summertime 9192631770”,2019,東京藝術大学,東京

鑑賞者はそういうふうにして祖母の存在しない時間枠にいながら、鏡の前に立つと、祖母の生前の時間枠で祖母が見た家の中にいた誰かになれる。

セットであるのが、この写真作品です。祖母の葬式の時に、祖母の生き写しだと言われたんです。これは祖母の遺品を着て、家の中で、祖母の亡霊かのように歩き回っているようなシーンを撮った作品です。これで私は祖母と同一化されるわけで、作品を通じて他者との融合を果たしました。

【Self portrait : I wear my late grandma’s clothes. 】 サイズ可変 光沢紙にインクジェットプリント
【Self portrait : I wear my late grandma’s clothes. 】 サイズ可変 光沢紙にインクジェットプリント

これは私の主観的な話で、美術って博物的な部分があると思うんですね。その時代を映し出す表現があるからこそ、美術館に保存されたりする。私は先人たちがやってきた不変的なことを主にやってきた。そこで私が今生きている時代で、私が考えることってなんだろうと考えました。それまでは身内のことを取り上げたミクロな作品と、他者とひとつになる思想を表す、すごくマクロな作品と、そのどちらかしかありませんでした。その間に位置する、目の前にいる相手に対しての作品というのがあまりないことに気づきました。

そうなった時に現実を見なければならないので、自分と他者が別物であることを拒絶せず、一旦それを受け入れて、他者とともにそれでも生きていける方法を模索する装置を作りました。

“8”がどういうものかといいますと、まず看板的に作っているのですが、”Transition”。ハムレットの中だとオフィーリアは悲劇的な死を遂げる可哀想な子という印象が生まれるポジションにあると思います。またセックスワーカーも社会的転落をしたというスティグマを受けがちです。確かに犯罪の温床になりがちですが、でもそこには職業差別も確かにあります。

【Grave # 11】 H315×W410×D65mm 木製パネルと麻布にメディウム転写 2019 展示 “outline”,2019,Maki Fine Arts,東京

また西洋絵画をモチーフに取り入れたということ自体、転写は原画のコピーなんですね。そもそもアート界自体が白人男性中心主義だったりしますから、私たちは「アジア人女性アーティスト」というふうにカテゴライズされます。白人男性はふつうにアーティストといわれます。これは、性別とか国籍とかで他者をカテゴライズするよねっていう皮肉を込めた作品なんです。

ミレーがオフィーリアを描く時に、モデルを浴槽に沈めたというエピソードをモチーフにしてバスタブを置いたのですが、バスタブ自体、人間が生まれた時には赤ちゃんをお風呂に入れるし、死んだ時は湯灌をするし、祈りの時も沐浴するので、そういう生命や信仰の象徴としてのバスタブでもあります。半透明のカーテンについては、奥が見えないようになっていて、不明瞭な部分を設けることによって、裏にあるものを隠している。そうやって見えない所を気づかせるようにしています。

そして奥にいる私は、他者に対して永遠を差し出します。飲食を与えることは哺乳類の一種の愛情表現です。永遠ですが、実際はただの水なので、いずれは身体を抜けるので永遠のものではない。次に「私たちは孤独だろうか」とか「私とあなたが一緒にこの世で生きて生いくためにはどういうことをしてきたらいいか」とか、けっこうダイレクトな質問をします。最後に「私に対して何か知りたいことはあるか」というふうに聞きます。

そもそも私が共存の方法で他者にこれを提示したのは、見えないカーテンを置いたりするように、私たちが他者をカテゴライズすることがある、見えないところを進まなくてはいけない。他者の見えない部分を想像しなくてはいけない。そのためには、お互いのことを知らなければいけない。それは、私が思うひとつの方法として提示しました。他者と私、違う者同士がどうやって一緒に生きるかという話の作品です。

【Transition】 1120 x W1455mm 木枠とアクリルガーゼニットにメディウム転写 2020 展示 “シェル美術賞2020”,2020,国立新美術館,東京 photo by. 久保田智広
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