古谷 由布 Yubu FURUTANI

テーマは人とのコミュニケーション

――どういう作品を作っているかも含めて、自己紹介をお願いします。
古谷:僕は彫刻出身なのですが、最近はインスタレーションとパフォーマンスが多いですね。初めてのパフォーマンスは熱海の廃ビルのワンフロアを使って行いました。その作品で僕は自分の顔のマスクをつけてそこにずっといるのですが、マスクは目を閉じているものなので前が見えない。そこにお客さんが入ってくると、音とか気配がする方に僕が近づいてくるという空間を作りました。
僕がメインテーマとして扱っているのが、人とのコミュニケーションです。人と話をする時、大抵は人の顔を見て話すじゃないですか。相手が誰なのか、どういう人相なのかが分かっている中でコミュニケーションすると思います。ところがマスクをすると、相手が男か女かも、年上か年下かも分からない。知っている人か知らない人かも分からない状態でのコミュニケーションの取り方というのが、作品としてできないかと思い、やってみたんです。

作品の展示が終わった後に、初めてお会いした方から「あの時こういうふうにしていたよね」といわれたのですが、僕にはどの時のことなのか分からない。それが話していくうちに「ああ、あの人だったんだ」と分かったりするわけです。ほかにも僕と相手の人間的距離感、例えば初めて会った人と数回会っただけの人と仲のいい人とでは、近づいてくる僕への対応の仕方が違っていたりもする。

古谷由布のマスクをつけているだけで、もしかしたら全く知らない人かもしれないのに。複数人お客さまがいたとして、そんな僕と誰かとのやり取りを他の誰かが見ていたことも含めて、コミュニケーションの作品として成立させました。

メキシコでパフォーマンスをした時は、ガスの大きなボンベを押すような台車を借りてきて、道で拾ったただの石を積んだ状態で、ギャラリーをスタートしてから街中をぐるっと回って戻るということをしました。タイトル「Purposeful Life」――有意義な人生という意味です。ただ街中で石を運んでいるというだけなのですが、それを展示会の期間中、午前の部と午後の部でひたすら繰り返しました。バス停みたいにポイントを決めておいて、必ず同じ時間にそこを通るというルーティンみたいなものを意図的に生み出しました。

※自らの顔を型取りしたマスクをしている。撮影されていたことも後から知った。
©タジマスズリ

謎のアジア人がメキシコの街の中で、毎日同じ時間に通るということを繰り返したわけです。それが当然目につくようで、町の人たちは僕に話しかけてくるんですね。僕はスペイン語は話せないので会話にはならないのですが(笑)。「あの人、何をしているのか分からないけれど、最近いるな」みたいに思われていたのかな、僕自身が彼らにどう思われていたのかわからないように、見ている人も答えを知ることができないですよね。答えが分からない、何か違和感があるということとの偶然の出会い。僕のやっている行為と相手のリアクションのコミュニケーションもあるでしょう。形には残らないけれど、その人の中に残る違和感として作品が残ればいいなと思いながら、インスタレーションとかパフォーマンスとしての作品を作っています。

※最後のパフォーマンスの時だけ、背中に「“有意義な人生”のパフォーマンス中です」と書かれたTシャツを着た。 ©Miguel Ramirez Garcia

――そもそもアーティストを目指した理由はなんでしょうか?

古谷:それしかなかったからだと思います。美術の世界に自分が傾いていったのが、中学3年生の時です。普通の公立の中学に通っていたので、高校受験をするという時に初めて自分の意思で学校を選ばなくてはいけない。これから自分が進む道を自分で決めなくてはいけないという初めてのタイミングでした。学校も小さな社会だと思っていて、その社会で生きるようになってから当時小学校6年間と中学校3年間だけですが、同じような3年間がこの後高校でも続くのかとふと考えたんです。普通に運動部に入って、普通に楽しい学校生活だったけれど、自分で選んでまで次に行きたいのかと思った時、必死に勉強してまでその3年間を手に入れたいのかを考えた時に、流されているだけのところから出たくなったんです。その時に、美術系の学校を受けることを決めました。

小さい頃に絵画教室に通っていて、美術が得意だったからというだけのことですが、大きな流れからこぼれ落ちたかったというのが僕の本心で、そこから美術の方に入っていきました。

コミュニケーションをメインにしているのも、自分も含めてメインストリームに乗り切れない人、協調性がないとか、空気が読めない、こぼれ落ちてしまう人に焦点を当てたいと思っているからです。メキシコでやった石を運ぶという行為も、実は肉体労働者に気持ちを寄り添わせたかったという想いがありました。そういう人たちに焦点を当てたり、自らが扮したりすることで、こぼれ落ちたものとメインのものとの関係性が、今のまま、阻害されたままで続いていくのではなくて、何か小さい繋がりを蘇らせることのきっかけになればいいなと思っています。

――そうした活動を続けるには、何が必要ですか?

古谷:発表していく機会が必要だと思います。発表する機会を作る方法というのは、結局、人との繋がりでしかないなと最近はよく思います。
去年、ベトナムに行くプロジェクトを自分達で作ったり、メキシコでのプロジェクトに呼んでもらったりしたのですが、ベトナムに行くプロジェクトを作れたのも、それ以前に一緒に活動していた仲間がいたからできたことですし、その先にメキシコに行ったのも、自分を知っていた人に声をかけてもらえたから。人との繋がりというところが、友達の友達の紹介とかのすごくアナログなところで、いい方向に働いています。これからはもっと、デジタルな形ででも繋がりを広げられたらと考えています。

でもそのデジタルな繋がりは密度でいうと希薄なところもあって、広く浅くなってしまいがちです。そこのバランスは難しいのかなと思いますが、必要と考えている人は多いだろうなと思います。

――注目が集まって、共感してくれる人が増えてこそ、次の制作ができるということですね。

古谷:そうですね。100人いてそのうちの1、2人でもいいと思ってもらえればいい方で、その分母が増えていくほど、賛同してくれる人も多くなると思います。
でも先ほど見せた作品などは、それなりの時間と熱意をかけて説明しないと、なかなか伝わらないと思います。映像を観ても、その映像が綺麗とか面白いだけでなくて、その行為の裏に考えていたことがなかなか思うように伝わらないんです。どうしたら映像とかで、自分のやっていることをデジタルに置き換えていけるのかが今後の課題です。

――昔のアーティストは、死後に評価されることが多くありましたが、今活動されているアーティストの活躍を、今伝える大切さというものがあると思います。

古谷:おっしゃるとおりです。以前ベトナムに行った時に、5人の日本人の作家と、ベトナム人の作家2人と、1カ月間同じホテルに滞在しました。夜にはお互いに会って話したりして、それぞれ作品を作ったり、リサーチしたりするというプロジェクトでした。面白かったのが、同じ小さな田舎町にいるんですが、それぞれ見てくるもの、感じることが全然違うんですよね。それを共有する時間が、すごく楽しかった。
出来上がった作品だけが世に出て行くというのではなくて、アーティストと交流することで、そのアーティストの思想や哲学がより伝えられると思います。社会に対して、アーティストがどういうふうに物事を見ているのかという視点についても、もっと伝えられたらいいなと思います。

出来上がった作品だけではなくて、アーティストの体験自体も広めていくことができればもっと面白くなると思います。

――制作の背景にある気づきや開眼といったドラマですね。

古谷:開眼というと仰々しく聞こえますが、確かにそこでの出来事はすべてがドラマチックでした。
ベトナムで一緒に参加していた1人が、焼き物で彫刻を作る作家さんだったのですが、隣町にテラコッタの素焼きで有名な町があって、そこに出掛けて行って、遅くに帰ってきたんです。何をしてきたのか尋ねると、テラコッタの工房に「仕事を手伝うから、工房を使わせてほしい」と交渉したというんです。その工房には結構厳しい国からのノルマがあるらしく、それを手伝うということで喜ばれたそうです。仕事が終わった後に、約束どおりに工房を使わせてもらって、そこの粘土とかも貰ってきていて、夕飯もご馳走になったとか。その後、もらってきた粘土で参加していたアーティストたちがお互いの顔を作って、さらに交流が育まれました。

※ベトナム中部の港町ハノイにある古い運河がモチーフの作品。

アーティストの体験した、そういう素敵な交流を間近で共有できるということを、自分だけの体験でなくてもっと広げられないかなあと思っているんです。

――素敵なエピソードですね。古谷さんにも、アーティストをやっていて良かったと思えたエピソードはありますか?

古谷:オランダで作品を作らせてもらったことがありました。そのきっかけが、前にお手伝いをしていた先生のアシスタントとして行ったことに遡ります。広い敷地を市から任されているところで、大きな野外彫刻がいくつも置いてあるのですが、そこを管理しているご夫婦がシンポジウムを開き、アーティストを招いて作品を作らせて、恒久設置しているような場所でした。
1年目に手伝いに行った時に、自分の作品を見せました。見せた作品の中で、特にいいね! といってもらえた作品があったんです。次の年にヨーロッパを旅行していたのですが、ちょうどシンポジウムの時期で「今、近くにいますよ」って連絡したら、「あなたも来て作品を作りなさいよ」っていってくれたんです。
滞在費も食事も無料で、材料費も出してくれる。作ったものはそこにずっと設置される。大学3年生にはあり得ないような高条件でやらせてもらえました。
その時の作品が、5mの巨大な椅子を6脚作って、池に刺してサークルを作るというようなものだったんですが、1人の人間の力では到底できないわけです。大勢でボートに大きな椅子を乗っけて、くくりつけたロープを3方向から引っ張って1本ずつ立てていくみたいなことをやるのですが、みんなに手伝ってもらったのに、段取りが悪くて結局失敗してすごく後悔しました。でも次の日に大きなユンボが来て、さすが重機の力でグサグサと刺してくれたんです。自分の力とあたまではできなかったけど、みんなで協力してあれを立てようとした、あの時間はすごく貴重な時間だと思いました。

※池の中に立てた木製の椅子は年々腐食している。倒壊しても、近づけないのでは危険はない。
それも含めた作品としてここに設置した。

オランダのその施設は、軽犯罪者が社会復帰のために期間限定で労役をしに来る場所でもあったので、タトゥーとピアスだらけのイカついお兄ちゃんとかがいるんですよ。
そういう人たちがロープを引っ張ってくれたんです。言葉も通じないし、何をやっているのかも分からないだろうけど、ひとつのことを一緒にやるコミュニケーション・プロジェクトというのも、すごく面白いなと思いました。

そんな大きなことを個人でできるのって、アーティストぐらいかなとその時思ったんですよ。会社では、もっと大人数でもっと規模の大きいプロジェクトを動かしたりするのだと思います。でもアーティストは、それをもっと全員の顔が見えるところでできる。個人レベルで新しい場所に行って、新しい人と関わることができる。僕が知っている限りでは、アーティストぐらいしかできないのかなと思っていて、あの時は本当にアーティストをやっていて良かったと思えた瞬間でした。

――今後、こんなことをやってみたいという夢を教えてください。

古谷:人に参加してもらってつくるプロジェクトをしたいと思います。ただ、それが仕事だと目的が明確にある。目的があって人が集まってやるのではなくて、むしろ集まることを目的にしたい。その結果、出来上がったものが意味のない物だったとしても、むしろその方がいいと僕は思います。参加しているみんなが、これは何のためにやっているのだろう? と思いながらも参加する。でも、みんなとやっていることが豊かな時間として記憶に残ってくれるような、そんなプロジェクトができたらいいなと思います。

コロナが落ち着いたら、日本人だけでなくて、いろいろな国、いろいろな文化や背景を持つ人がミックスして、何かをやることが沢山できたらいいなと思います。
僕は海外旅行が好きで、いろんな地域に行って、いろいろな人生を見ることができたことが嬉しかったから、これからもいろいろな人の人生を、創作を通して見れるようなプロジェクトができたらいいですね。決められた人生の道みたいなものがそれぞれにあると思いますが、参加してくれる人に「もっと自由に生きて良かったんだな」と思ってもらえるプロジェクトができたらいいし、そんな生き方をしたいなと思います。

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